先人達の文化が薫る萩と句碑
大阪のベッドタウン、豊中市の阪急電車曽根駅にほど近い閑静な住宅地に、今回坐禅会の行われる東光院はあります。
山門をくぐると、左側には重厚なお堂が建ち並び、反対側にはたくさんの萩の緑が生い茂る庭園が広がります。「萩の寺」の愛称で親しまれるだけあって、美しく手入れの行き届いたその姿に身も心も洗われる思いがします。かつて萩の可憐な花に豊臣秀吉の妻淀君も魅せられ、また正岡子規とその弟子、高浜虚子らも萩の句を寄せています。この他、数多くの俳人・文人・墨客が訪れたといわれ、境内には多くの歌碑が残されています。
歴史の不思議に彩られるお寺
さきほどのお堂は「あごなし地蔵堂」といって、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治時代、隠岐島で信仰を集めていたお地蔵様を、当時の和尚様がこの寺へとお迎えになったそうです。
同じ頃、維新後の反徳川の風潮の中で、徳川家康をまつる川崎東照宮が廃社になりました。現在の大阪造幣局の隣地にあったと伝えられていたのですが、その後どうなったのか歴史の謎とされていました。しかし、昭和になってその一部の建物が、お地蔵様を護るお堂として、なんとこのお寺に移設されていたことがわかったのです。
遠く離れた場所で培われたふたつの信仰が、歴史の波に揺られながら、このお寺で一つに結びついたのです。
そのほかにも興味深いエピソードにあふれるものばかり。ここは歴史の不思議に彩られたお寺だということがわかります。