禅のお話
ほとけに出逢う
第8回 黒漆の昆崙、夜裏に走る−太祖瑩山禅師−
読み(こくしつのこんろん、やりにはしる−たいそけいざんぜんじ−)
師匠の三祖徹通義介禅師が「平常心これ道」と示されたのを聞いて、太祖は「分かりました」と言われ、「どう分かった」と詰問されたのに対して答えられたのがこの言葉です。
昆崙と渾淪とも書き、渾沌と同じで、よく分からない、はっきり認識できないもの、という意味です。
漆のように真っ黒でよく分からないものが、夜の暗闇の中を走った。黒いものが暗い中を走ったのでは何も見えませんが、見えないから存在しないのではありません。
昆崙とは正法眼蔵涅槃妙心=真実のことを言っています。真実は広大無辺、認識できるものではありません。二祖慧可大師はこれを「心を求むるに得べからず」と言われ、洞山大師は「渠に逢う」と言われました。
「覚知にまじわるは、証則にあらず」と道元禅師は示されています。真実を得たとか、すばらしい境地だ、などと覚知するならば、それは本当の坐禅ではありません。
真実の自己は、自分が分別を加える以前の、覚知し得ない「生かされている事実」、黒漆の昆崙であり、それを実践実証するのが只管打坐であることが、この言葉に示されています。
高祖道元禅師の伝えられた正伝の仏法は、太祖瑩山禅師によって、深く根を下ろし、日本中に広まり、今日に至っています。
2012.11.20 掲載