禅のお話
ほとけに出逢う
第5回 汝これ渠にあらず、渠正にこれ汝−洞山良价禅師−
読み(なんじこれかれにあらず、かれまさにこれなんじ−とうざんりょうかい−)
洞山大師の時代は、禅宗の最も盛んな時代と言えます。
洞山大師の系統は「曹洞宗」と言われ、五家の一つです。
ただし道元禅師は、五家の名を立てることは堕落であると誡めておられます。
洞山大師は旅に出て水を渡ろうとして、水に映った自分を見て道を得られました。
それを歌にしたのが『宝鏡三昧歌』で、これはその中の言葉です。
汝とは水に映った自分。これは向かい合って見ることができますから「汝」です。
しかしそれは自分そのものではありません。
本当の自分は、自分で見ることはできません。目が目を見ることができないのと同様です。
鏡に映った目は、目を見ている目で、いつ見てもこちらを見ています。
キョロキョロ目を動かしている本当の生きた目は、見られません。
同じように、本当の自分を自分が見ることはできません。それを三人称で「渠」と言われています。
二祖慧可大師が「心を求むるに得べからず」と言われた「心」が「渠」です。
これは絶対に触れることはできません。
これが自分だ、真実だ、と思ったら、それは「渠」ではなく「汝」になっています。
洞山大師は、水に映った自分の姿を見て、この「渠」に逢われたのです。
2008.05.01 掲載