お釈迦さまゆかりの地「サルナート」に似ているということから、行基が十一面観音菩薩像を彫り、安置したのが始まりと伝えられる。
永禄の乱(1569年)により、本尊を除くお寺のほとんどを消失。元和2年(1616年)に青厳和尚が再興し、「のざきまいり」(無縁経法要)で広く知られることとなる。
現在も、5月に「のざきまいり」として催され、門前には数多くの露店がならび大勢の人で賑わう。
♪野崎参りは〜
昭和10年に歌手の東海林太郎さんが歌い、大ヒットしたという「野崎小唄」。その歌詞にある「野崎参り」のお寺が慈眼寺です。若い人はご存じないでしょうが、年配の方には懐かしい歌なんですね。
慈眼寺は古くから「野崎観音」の名で親しまれ、落語や歌舞伎にも登場します。
JR野崎駅から歩くこと約10分。緩やかな上り坂がしだいに急になってきました。「慈眼寺」と刻まれた石柱が目に入り、目指すお寺が近づいてきたことがわかります。その先に続く鮮やかな緑の木々に包まれた階段道。これを上り切ったところに参禅会が待っているのです。
『昔の人もこの階段を往来したんだぁ』と思うと感慨もひとしお。江戸時代は元禄宝永の頃に盛んになったという「野崎参り」の様子(チョンマゲ頭のお侍さんや町衆の姿とか)を頭に描く私の前方に、ホウキを手に階段をこまやかに掃除する人たち。美しい景観はこのような方々によって維持されているのだと気づかされ、感謝の心になって「おはようございま〜す!」
明るい挨拶ができました。
見晴らしのよさに、もう満足!?
少々息を切らしながらの山門到着。運動不足の私には、坐禅前にもかかわらず早くもひとつの達成感が全身に満ちています。上がり終えたばかりの階段越しには大阪の風景が広がって、あまりの気持ちよさに、「ふ〜」とひと息。思った以上に高くまで上がってきたようで、達成感も2割ほどアップしました。しかし、これで満足していてはいけません。肝心の坐禅会はこれからです。
時刻が坐禅開始の8時に近づくとともに、境内にいる人々が本堂へ集まってきました。中には先ほど階段で挨拶を交わした人たちの姿もあります。
実はこの方々も参加者で、坐禅の前に掃除やお寺の手伝い等の作務をされているのだとか。といっても特にきまりはないそうで、つまり自主的な行動ということですよね。頭が下がります。
自由なムードの坐禅会
本堂へ入った人たちは、坐禅用クッション(坐蒲)を手にして坐りはじめます。
それからは特に開会の号令もなく、ごく自然かつ自主的な感じで、おもむろにはじまるのでした。なんだかホントに自由なムードの坐禅会です。
初心者は、受付ベルで個別指導を請いますが、経験者はおのおの自分のペースで坐を組むことが基本です。ベテランの方は、お気に入りのポジションなのでしょう、スッと定位置らしき場所に着かれます。今回は初心者の方が4名参加されていて、慈眼寺の徒弟、杉山雄峰師から足の組み方や心がまえについての指導を受けられていました。
気がつけば本堂は30名以上の参禅者でいっぱいです。空席残りわずか──。誰もが参加できるようにと、イス坐禅の用意もありました。
坐禅して、仏さまになる
明かりが暗くなり、鐘が鳴らされ、さあ坐禅開始の時間です。一気に堂内が静まりました。
本堂の外では、早朝散歩や参拝の人たちが本尊様に手を合わせながらも中の様子が気になるよう。ひょっとすると真剣に面壁坐禅をする姿が仏さまに映るのでしょうか。私の目には、参拝者たちが参禅者を拝んでいるようにも見えました。
坐ること約40分。一人ひとりが警策をうけ、坐禅は終了。続いて行われる、経本を手に般若心経を唱える朝のお勤めも、テンポのよい読経の声でつつがなく締めくくられました。
次は別室にて講話です。自由参加ながらさすが熱心な方々、ほとんどの人が席に着かれました。
自由とは、自分を律した上で言えるもの
この何ごとにも“自由な雰囲気”こそが慈眼寺ならではの参禅スタイル。『禅寺らしくない』なんて決めつけてはNGです。「入門自由 卒業自由」。先代、一峰和尚さんのお言葉で、その伝統を受け継ぐ、自発的な心構えをよしとるすカタチなのです。
もちろん、「自由=楽」ではありません。
「誰かのために坐るのではなく 自分自身が坐る ただひたすらに坐る」。中には、自らを律することの難しさを感じる方も。う〜む、深遠…。
本質は、一人で坐るという厳しさを持つ坐禅。だからこそ坐る仲間、即ちこのサンガの存在が大きな力となっているに違いありません。
野崎観音さまの慈悲の心と、自由を重んじるポリシーのもと『熟練の方にはもちろん、入門者にもうってつけの会なんだ』と、感じました。
参禅の数を問わず、人は日常にはない「静かな時間」が何よりの贅沢だと口にします。それは、坐ってはじめてわかることなのかもしれませんね。