禅のお話
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心の花を咲かせよう
園芸ブームで草花をそだてている人が沢山おられます。花屋で切花を買うより、稲や種の状態から植木鉢で育てたあげた花の方が、同じ一輪の花でも愛着の度合いが違います。
「花持った ほうからよける 小路かな」
という川柳があります。道幅の狭い小路で、向こうから来る人に出会ってしまった。どちらかが避けなければ、通ることができない。川柳を作った作者は、たまたまお墓参りの花を手に持っている、花を傷めてはいけないので、相手を先に通そうとする心配りです。
「花持った ほうからよける 小路かな」
トゲトゲしている社会ですが、一輪の花の存在が、その人の心のトゲを和らげてくれます。
花を育てて楽しむと一口で云いますが、楽しむためには、一年間のご苦労が存在します。
よく考えますと、花が咲いているときはせいぜい一週間です。育てることが苦労であれば、割りにあわない苦労がつづきます。
花を育てている人は、その成長過程を楽しんでいるのかもしれません。毎日毎日、花の様子を観察し、「立派な花を咲かせてよ」と優しく声をかけ、時期時期に水や肥料を与え、大陽のあたり具合を調整し、なさねばならない仕事は多様にあります。忙しく飛び回っている私には、とてもできない仕事です。
ところで、お釈迦さまは、この草花を育てる仕組みが、世の中の仕組みでもあるといわれます。
花を手に入れるためには、最初に花の種をまかなければなりません。
最初の種を仏教では「因」と説明します。原因の因の字です。
花が咲く状態を望んでいたのですから、花が咲いた状態を「果」と云います。結果の果です。因と果を集めまして、この世の中は因果の法則が存在する、と仏教では説明しています。花の種をまかずに、立派な花を咲かせようと望んでも無理なことです。
しかし、私たちはしばしば、種をまくことを忘れ、立派な花だけを求めてしまいます。最初に「優しい言葉」の種をまくから、周りの人々にもその優しさが伝わるのです。
トゲのある言葉を使っていて、回りの人々は優しくあってもらいたいと願っても、それはやはり、無理な注文ではないでしょうか。
お釈迦さまは、種をまいただけでは、立派な花は咲かないとも云われます。園芸で云うと、毎日の花の管理が大切であるということです。毎日手をぬかずに大切な花を管理することを、仏教では「縁」という言葉で説明します。「縁」は、ご縁があるの縁で、「えにし」という文字です。
この縁のとりあつかいで、未来の結果は大きく左右されます。植木鉢に花の種を植え、あとはほったらかしの花と、毎日花の世話を続けた花では、花の状態は大きく違います。毎日、その花を大切にする作業が、仏教で云う「縁を大切に」ということです。縁を大切にしますと、立派な花を手にいれることができるのです。因果という教えは、正しくは「因縁果」と教えと云えます。
縁を大切にする人は、小さな小路で、人と出会ったら、「あなたからお先にどうぞ」と優しさが表現できる人でもあるのです。一輪の花、一度立派に自分の心に咲かせてみたいものです。