禅のお話
過去の法話
水を汲みだそう
お釈迦さまが説かれたこの世の苦しみ、いわゆる四苦八苦というなかのひとつに、「求不得苦」というものがあります。
「求めても得られない苦しみ」という字を書きます。
何かを手にいれたい、自分のものにしたい、という欲望にはきりがありません。際限ない欲望が生み出すこの苦しみに、私たちは毎日付き合って生活をしています。
考えてみれば私たちは、何かを手に入れよう、自分のものにしようとして欲望にさいなまれるわけですし、運良くそれが満たされれば満たされたで今度は、それを失う苦しみを抱えることになるわけです。誠に私達の生活というのは、進むも退くも苦しみの海のなかに埋もれていると言えるのではないでしょうか。
お釈迦さまはある時、ご説法のなかでお弟子たちを船に譬えられたことがあったそうです。
そうして、「船から水を汲みだしなさい、そうすればおまえたちという船はもっともっと軽やかに走ることができるだろう」とお教えになったそうです。
私たちの生活を時に立ち行かなくさせるのは、自分が作り出す執着という欲望の「重し」なのだ、この重しを汲み出せば、その分だけ私たちという船は軽やかに走るのだ、そうお釈迦さまはお示しになったのです。
そんな軽やかさを生活のなかに実践された先人に、越後の良寛和尚という方がおられます。
この良寛さんが詠まれた句のなかに、
「盗人のとり残しけり 窓の月」
というのがあるのをご承知でしょうか。
実はこの句は、盗人に全財産、といっても布団と衣類少々だったそうですが、全てを盗まれた時に詠まれたものだそうです。
我がものへの執着を棄てたことで、実は決して盗まれることのない大安楽の境涯を手にされていたのではないかと思います。
いまの時代、この涼やかなエピソードそのままを実践することはなかなか困難な時代です。けれども毎日の暮らしのなかで、私たちもせめてコップ一杯ずつの水でも汲み出す心掛けをもちたいものだと思います。