過去の法話

お見舞い

京都府 最福寺 住職 金森英明 老師

35年程前、私は父親を癌で亡くしました。
当時、癌は不治の病で本人への告知など到底考えられない時代でした。

私たち家族は本人に癌と悟られないよう、大変な気遣いをしました。兄妹でいろいろ考え、ほんの一部の身内にのみ打ち明けて協力を得る事にしました。いかに親しい人にさえ本当の事を言えず、人を騙す事のつらさを嫌と言うほど試させられました。

手術後ICUから個人病棟に移ります。医師からは「風邪をひかせてはだめですよ」と注意されますので細心の気遣いをするのですが、沢山の人がお見舞いに来て下さいます。皆さん親切で来て下さっているので無闇にお断りも出来ず、ただハラハラと感染しないことを祈っているのみです。その上癌でなかったと吹聴していますので、お見舞いに来られた方々は平気で癌の話をされます。その度にこちらはヒヤヒヤ、ドキドキです。

決してその方々は悪気もなく好意的に話して下さるのですが、身体の変調を直に感じている父親が癌を疑わない筈もなく、何とも言い難い状況で看病した事を憶えています。

病人のお見舞い一つとっても、人の立場に立って行動するという事が、いかに難しい事かと思い知らされました。

道元禅師は「同事」という言葉で

「自分と自分以外の間に垣根を作らない。
    自分も他人も全く一緒なのだからお互いよく理解しあって行動する事が大事だ。」
と説いておられます。

私はそれ以来、知人や友人の病気見舞いは出来るだけご家族の方々に「伺っても良いですか」「ご本人は望んでおられますか」と確認してからお訪ねするようにしています。一度相手を自分に置き換えて、自分ならどうかと確かめてみる必要があるのではないでしょうか。

私達は自分独りで生きているのではありません。自分を取り巻く全ての物に対して、本当の意味での暖かく優しい思いやりが必要なのです。あらゆる他人とのお付き合いの中で相手の立場に立つという事は本当に難しいものですね。

「お見舞い/金森英明 老師」(音声:2分57秒)
2014/01/24