過去の法話

自分の足元を知る

滋賀県 青龍寺 住職 桂川道雄 老師

交通違反の切符を切られますと、「運が悪かった。私よりもっと悪質な違反を取り締まるべきだ。次からは絶対に捕まらないぞ」と、思います。この反省では、仏教の懺悔(さんげ)になりません。自分のエゴを捨てて、「失敗した、失言した」と、自分の足元を素直に省みることが大切です。
「同じ過ちを二度としない」と心に強く誓うのが、懺悔です。普通は、懺悔(ざんげ)と濁って読みますが、仏教では懺悔(さんげ)と濁りません。

自分の足元を省みる言葉が「懺悔文」というお経です。

我昔所造諸悪業(われ昔より造れる諸々の悪業は)

皆由無始貪瞋癡(みな無始の貪瞋癡に由りて)

従身口意之所生(身と口と意より生じるものなり)

一切我今皆懺悔(一切われ今懺悔したてまつる)

私たちのトラブルの原因を整理しますと、自分自身の「むさぼり」「いかり」「おろかさ」です。仏教では「貪・瞋・癡の三毒」といいます。貪・瞋・癡の三毒は、仏の道を歩む妨げとなるものです。この三毒は「身口意の三業」から出てきます。三業とは、身体で表現する行動と口から出てくる言葉と心で思う観念のことです。ちょうど、水道の蛇口から水が漏れ出すように、身口意の三業から貪・瞋・癡の三毒が流れ出ます。このトラブルを回避するには、蛇口をかたく閉めて、一切の煩悩を近づけないことを求められます。

しかし、日常生活では不可能なことです。だったら、蛇口で水道の水をコントロールするように、身口意の三業から出てくる三毒をコントロールしなければなりません。蛇口が水の出をコントロールするように、懺悔文は私たちの煩悩をコントロールするものです。蛇口の閉め方を知っていても実行に移さないと水道水が止まりません。懺悔を知っているだけでは、日常生活には変化がありません。

出しっぱなしの水道に気がついたら、水道の蛇口を止めるように、失敗や失言を引きずるのではなく、「同じ過ちを二度としない」と心に誓うことが大切です。懺悔は、自分の足元の問題としてとらえましょう。

「自分の足元を知る/桂川道雄 老師」(音声:3分22秒)
2013/12/26