過去の法話

今日是好日

京都府 神応寺 住職 安達瑞光 老師

人は自分の行為をさておいても、他に原因を求めたがります。幸運に期待する一方で不運をさけたいと願うのです。それで六曜(六輝)すなわち先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で吉凶を判断する人もいますが、どの日が好くてどの日が悪いということなど、本来はありません。六曜が宇宙の真理のごとくに思いこんでいる人もいますが、日の好し悪しが定まっているというものでもなさそうです。

「日々是好日」と言っても、大安吉日の意味ではない。唐の末期の頃に雲門(雲門文偃)という禅僧がいました。来る日、来る日の毎日が好い日だと「今日是好日」を弟子に説きました。

好い日、悪い日、普通の日などと、自分が思いこんでいるだけです。日々是好日が積み重なれば年々是好日です。過去を振り返って愚痴てもしかたないことです。未来に思いを馳せても先のことなど確信がもてません。今日のこの好き日をただ生きるのみです。

山岡鉄舟が 「晴れて好し曇りても好し富士の山 元の姿は変らざりけり」と言っていますが、雲の向こうに富士山はあるのですが、見えないからと自分の不運を嘆くのも人間の勝手心です。

人生はお天気のようなもので、晴れの日、曇りの日、雨の日、嵐の日など悲喜こもごもです。晴れてよし、曇りてもよし、雨もよし、嵐もみんな天気です。

人としてこの世に生まれてきて、今、生きている毎日が好き日です。そして多くの方とのご縁によって、共に生きていく日々が好い日です。人生は山あり谷あり、挫折も向上の原動力であり、絶望も希望の出発点ですから喜ぶべきです。

来る日、来る日のことごとくが好き日です。自分の物差しで判断していると、つい つまらないことで嘆いたりしてしまいます。

「今日是好日/安達瑞光 老師」(音声:3分40秒)
2013/11/29