過去の法話

「愛語」に学ぶ…悪言を出だすことなかれ

京都府 苗秀寺 住職 大谷俊定 老師

「最近言葉が乱れている」とか「若者の言葉がわからない」「いい年した人が若者と同じ言葉遣いをして恥ずかしい」「品格のある言葉が消えた」と感じていらっしゃる方も多いと思います。さて、皆さんはどのように感じておられますか。

今年四月 或るお檀家さまのご法事の席で、次のようなお話を伺いました。
今年一年生になった孫が学校から泣いて帰って来て、なかなか泣き止まないので、『何で泣いているの?』と尋ねると、先生に叱られたという以外に、全く要領が得ませんでした。母親が先生に電話をかけたのですが、要領が得ませんので、学校へ出かけて行き、先生の説明を聞きましたところ、まったく驚く答えが返ってきたのです。

孫が『先生、明日 お鞄に何を入れてきたらよろしいか』と尋ねたところ、言葉が丁寧なので、先生はひどく怒ったということでした。
『先生 あんな あした 鞄に何 入れてきたらええのんや』と聞いて欲しかったという先生の説明でした。
「今まで言葉遣いが悪くて叱られたのは聞きましたが、丁寧で怒られたというのは初めてでした。孫が可哀想で…」と、切々と訴えられました。

「ああ、こうして大人は子どもの心に傷をつけていくのだなあ」と、私は本当に恥ずかしい思いに駆られながら、この話を聞かせて頂きました。

道元禅師さまは 修証義第四章で、『愛語』について
『面いて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす、面わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず』と示されています。とことん相手の身になり、相手を大切にし、赤ん坊への愛情のように慈愛深い言葉を『愛語』と示されています。

「愛語」の実践は、脳内物質のセロトニンの働きを活発化させ、心や精神的安定、脳波の活発な働きを促す大切な仏道であります。言葉は使い方によって 相手を励ますことも善道へ導くことも、心を軽やかにすることも出来ますが、反対に刃物よりも深く相手を傷付けてしまうものでもあります。
このような時代だからこそ「愛語」の教えに深く学び、行ないたいものですね。

「「愛語」に学ぶ…悪言を出だすことなかれ/大谷俊定 老師」(音声:3分30秒)
2013/04/16