過去の法話

いい子

京都府 神応寺住職 安達瑞光 老師

親が子を育てることについて、自然の生きものの場合は、その子が自活して生きていくことができて、子孫を残せる能力があればそれでいいのです。ところが人間の場合は、親は子に「立派な人間になりなさい」とか「世の中に役立つ人になりなさい」などと言い続けて育てます。そして「つまらない人間」であるとか「役に立たない人」になってほしくないと言います。

「世の中に役立つ人」といえば漠然とイメージが描けそうですが、「立派な人間になりなさい」と言われても、立派な人間とはどういう人なのか、その人間像が親も子もはっきりとしていないのに、しっかりと勉強しなさいと親は子に言います。「世の中に役立つ人」になることを願うのならば、ことの善悪が判断できる能力が必要ですが、家庭で善悪を口うるさいほどに教える親は少ないようです。親は子に善悪を教えるより学力の向上を求めるからです。

人が成長していく過程において、進学の勉強ばかりで「立派な人間」とは何か、生きる意味を学ぶことがないようです。

人間として成長する上で、子は、何を求めて何のために学ぶのか、深く考えることもなく、わからないままに「いい子」ぶって親の安心を得るために進学用の学びをしているようです。親も学校も「生きる意味とは」の問いかけを子にしないから、子供は「立派な人間像」を画くことなく漠然とした進学用の勉学のみに励んでいます。

「立派な人間になりなさい」と親はいうが、進学時は学力向上のみが関心事です。生きる意味を家庭でも学校でも教えないので、子は精神的にひ弱であり、強靱な生きる力が具わっていないから、世の波にのまれてしまいがちです。

親も子も生きる意味を問い続けたいものです。

「いい子/安達瑞光 老師」(音声:3分34秒)
2013/02/18