過去の法話

おみやげ

京都府 最福寺住職 金森英明 老師

お経の一節に「無常忽ちに至る時は 国王大臣親ジツ(※)従僕妻子珍宝助くるなし 唯一人黄泉に赴くのみなり 己に従い行くは 唯これ 善悪業等のみなり」とあります。

私たちが死を迎える時、いかに地位、名誉、権力、更に金銀財宝を持っていても、また家族や仲間が助けようとしても、それらを連れて行くことも持って行くことも出来ず、何の助けにもなりません。

ただ一人であの世に逝かねばならないのです。

但し一つだけ持っていかねばならないものがあります。それはこの世の中でいい事をしてきたのか、悪いことをしてきたのかという善悪の行為、つまり「業」というものであります。

私は琵琶湖の畔の小さな禅寺の次男として生まれました。父は私もお坊さんになって、世の中の為に尽くすことを望んでいたのですが、次男坊の気安さで父の意にそむいて会社員になりました。

私が三十七才のとき、父は癌で亡くなりました。私がお坊さんでなかったことが気掛かりだったと思います。私もずっと脳裏にありました。遅ればせながら定年後、一から雲水修行をさせて頂きお坊さん仲間の末端に加えて頂きました。

私もいずれあの世に逝く時が来ます。あの世には父も母も待っていてくれれます。真っ先に父にお坊さんにならせて頂いた事を報告しようと思っています。その時には「善業」という立派なおみやげをいっぱい持っていこうと思います。祖父母は勿論、檀家さまも沢山おられますので、皆さんにお届け出来るようにおみやげをつくろうと思います。

一日一膳。一年で365個。10年生かせて頂ければ3650個のお土産が出来ます。

今日一日の無事に感謝して手を合わせるだけでいい。世話をしてくれた人に「ありがとう」と心から一声かけるだけでも立派なおみやげです。

「やさしい眼差し」「笑顔で接する」「優しい言葉」「いとわぬ行動」「思いやり座席を譲る」「休み処の提供」何がなくても出来る七つの布施「無財の七施」と云います。

さあ、皆さんも私と一緒にお土産作りをいたしましょう。荒んだ世の中を正す為にも。

(※) へんが「目」、つくりが「匿」となる漢字1文字です。

「おみやげ/金森英明 老師」(音声:3分22秒)
2012/07/17