過去の法話

自分ではないもののために

大阪府 東光院副住職 村山博雅 老師

私は今犬を飼っています。その子は、うちにやってきたばかりの頃、本当に元気な子で、いつも庭中を全力疾走、跳んではねてと毎日楽しそうに走り回っていました。

ある日のこと、急にその子が庭中に響き渡る大きな声で悲鳴をあげました。しかも長い間その悲鳴は続きました。何事かと思って庭に出てみますと、その子は後ろ足を上に上げて横たわっていました。すぐ病院に連れて行ったのですが、膝の腱が骨ごと剥がれる剥離骨折でした。「もう走ることはできないかもしれない‥」そう思うととても悲しくなりました。とにかく日にちを決めて手術をし、足を動かさないようにして、安心させるため何日も何日もその子の隣で眠りました。家族みんなで看病しました。

その甲斐あってか、半年後には元気に走ることができるようになりました。その姿を見ていると、怪我をしたこと、看病したことが嘘のように思え、今でも心からうれしく思います。

仏教に、「利行」という教えがあります。利益の利に行いと書いて「りぎょう」と読みます。意味は、他の人・他の存在の為になる行いを進んで実践しましょうということです。私たちが幸せに生きるための大切な教えです。

自分ではないものの為に何かをしたいという欲求を、私たちは本能的に持っているにもかかわらず、その思いをあえて抑えてしまいがちです。自分が損をすると思ってしまうからではないでしょうか。でも実はそうではありません。
他の為になる行いというものは、与えるものも受けるものも等しく、喜びや幸せを得ることができる行いなのです。

例えば、ひっくり返った亀が起き上がれずじたばたしているとします。私たちは困っているその亀を表に返してあげます。そうするとその後、元気に歩く亀を見てホッとします。亀もホッとしています。心からうれしくなりますね。

かけがえのない方が喜んでくれることは、同時に自分の喜びであることを思い出して下さい。私たちは一人っきりで幸せになることはありません。他の存在の幸せがあって初めて自分にも幸せがもたらされるのです。

「自分ではないもののために/村山博雅 老師」(音声:2分39秒)
2012/06/18