禅のお話
過去の法話
挨拶は診察
挨拶は診察
小学校に勤務していたときのことです。
「Kちゃん おはよう」
声をかけましたが、いつものKちゃんとは少し違います。いつもなら、遠くから「先生おはようございま〜す」といって走ってくるのに、今日は様子が変です。
何か私を避けているようです。
元気もありません。うつむき加減にゆっくり歩いてきます。
Kちゃんに近づいて声をかけました。
「Kちゃん おはよう。元気がないぞ」手を握って顔をのぞいてみました。
「どうしたの?お父さんに叱られたかな?」
Kちゃんは顔を横にふりました。
「じゃー お母さんかな?」
また 顔を横にふりました。
「どうしたのかなー?」とたんにKちゃんは私の手を振りほどいて教室の方へ走っていきました。
担任の先生にこのことを連絡しておきました。
2時間目を終えた担任の先生に
「Kちゃんの様子はどうでしたか」
「別に変わった様子でもありません。元気にしていましたよ」
という返事。
ちょっとおせっかいかなと思いましたが、放課後、家庭訪問をしてみました。
家には仕事から帰ったばかりの母親がいました。
「Kちゃんの様子が少し変だったのでお伺いしました」と用件を告げますと、母親も「別に変わったことはありませんけど」という応えでした。
あくる日の朝はKちゃんはいつものように元気よくやって来ました。・・・が、何かありそうです。
それから2、3日して掃除の時間に巡回をしていると、Kちゃんが便所の掃除を一人でしています。
「Kちゃんご苦労さん」と声をかけましたが、少し上の空の返事が返ってきました。
S子が私の傍にやってきて「先生、みんなKちゃんばっかりに便所掃除させてはる」と、耳打ちをしてくれました。
担任の先生と相談をいたしました。
「そういえば、この頃元気がなくなってきていましたね。テストの成績も悪くなっています。どうしたのでしょう」
調べるうちに、Kちゃんは成績が良いので、いたずらっ子がねたみ心でいじめを始めていました。便器の中に手をつけさせたり、悪い成績をとるように言ったりしていたことがわかりました。
初期の段階での手だてができました。
「挨拶は心の診察」です。曹洞宗では手を合わせて相手の目を見て心の挨拶をいたします。あなたも朝昼夜を問わず、心の挨拶ができますか。
挨拶はたいせつな仏事なのです。心の診察なのです。