過去の法話

「いただきます」の心

奈良県 宝泉寺住職 北野哲由 老師

檀信徒の皆さんと永平寺に上山した時のお話です。
坐禅や掃除、朝のおつとめと、雪の降り積もる中を皆さん一生懸命に修行に励んでおられました。やがて、「パン、パン、パン」と木版の音が響くといよいよ食事の時間となるのですが、参禅者の足取りは重いままです。
というのも食事もまた修行の一つであって、しかもすぐには覚えられないほどの細かな作法があるのです。道元禅師は、心のこもった食事を身体と生命を支え得るだけ頂いて生活するのが修行である、と示されています。参禅者の方にとっては、作法に追われて最初は喉も通らない思いだったことでしょう。

「五観の偈」という五つのお唱え事があります。

  • この食事がここに運ばれてくるまでの多くのご恩を思います。
    (一つには功の多少を計り、彼の来処を量る)
  • この食事を頂くに値する自分なのかを思います。
    (二つには己が徳行の、全欠を忖って供に応ず)
  • 貪らず、好き嫌いしないことを思います。
    (三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす)
  • この食事が身体と生命を支える為のものであることを思います。
    (四つには正に良薬を事とするは、形枯を遼ぜんが為なり)
  • この食事が人としての道を歩む為のものであることを思います。
    (五つには成道の為の故に、今此の食を受く)

この五つの思いが一つになったのが「いただきます」という言葉なのではないでしょうか。

2007/04/04