過去の法話

同じ気持ち

奈良県 瀧川寺住職 大谷良心 老師

正子おばあちゃんが亡くなられました。享年97歳です。
高齢になっても女性としての尊厳をたもち、シャイなおばあさんでした。
枕経に向かいながら「そういえば2週間前のお彼岸のお参りで顔を合わせなかったな。衰えた姿で会うのが嫌だったんだなあ」
気づかなかった自分が悔やまれます。

一期一会と知りながら、また次があると漠然と思っている私がいました。
奥様のお言葉では
「この前のお参りしてくださった時から母は体調が悪かったのですよ。でもどうしても病院は嫌だといって、倒れてから病院に救急車で運びました。お医者様には叱られました。どうしてもっと早くつれて来ないの。手の施しようがありませんよ。そして緊急入院から2日後に母は息を引き取りました」
これで良かったのか。もっと他に何かできたのではないかと悔やまれるお姿が見受けられます。

6年前に旦那様を送り、子どもがありませんでしたので義理のお母さんと二人暮らしでありました。
私は
「天寿全うではないですか。おばあちゃんの尊厳を守られたのですよ。よかったですね」
と、このようにお答えしました。
嫁と姑の関係で50年。 いろいろな事があったでしょうが、この信頼関係こそが『同事行』なのです。
押し付けず、へつらわず相手の立場や気持ちに和して生活していく。 安心できるからこそ、ワガママも言えます。

道元様示して曰く
「同事というは不違なり、自にも不意なり、他にも不違なり。たとえば人間の如来は人間に同ぜるが如し」
「他をして自に同ぜしめて、後に自をして他に同ぜしむる道理あるべし」

人は死に臨んでも、残される家族のために優しくもなれます。自己の意思を通すこともできます。しかし、弱くなり醜態をさらすこともあるでしょう。すべてを捨て去るまでの葛藤の繰り返しでありましょう。

覚悟して自分の尊厳を貫くことができる幸せ。
そしてこれを支えてくれる自立した家族のいる幸せ。
私もこれを見習いたいと願うものであります。

2006/03/28