過去の法話

四角いキャベツ

京都府 隠龍寺住職 児玉哲司 老師

犬はワンワン鳴くもの、と相場が決まっています。けれど、この常識が通じるのも江戸時代までだそうです。平安時代までさかのぼると、犬は「びょうびょう」鳴く、というのが常識だったようです。 

実は、当時は犬を飼う習慣が無かったので、犬の声といえば野犬の遠吼えのこと。そのせいでこんなふうに聞こえていたそうです。常識というのは変わるものなのですね。

この常識の変化で驚いた体験があります。
本堂の大掃除をした際に、たまたま古新聞が出てきたのです。昭和40年1月のものです。珍しさから目を通してみると、未来社会の進歩を予測した特集がありました。

びっくりしたのはその中身です。「高速道路網の充実」などといった項目と並んで、「キャベツが四角になる」というものがあったのです。

読んでみるとそれは農業生産の効率アップの話で、「レンガのように箱詰めしやすい規格化された野菜が生み出される」、と予測しているのでした。もちろんまじめな特集です。

40年後の私たちは、四角いキャベツがもちろんできなかったことを知っています。むしろ時代は自然重視、スーパーでは、形の不ぞろいな有機野菜の方が高値で売れています。今現在、そんな話をとりあう人がいるとは思えません。

けれども、当時は世を挙げて経済発展と効率重視の時代ですから、四角いキャベツは、進歩の象徴、明るい未来のシンボルに思えたのでしょう。

これは私にとってちょっとした衝撃でした。当時の常識を笑うのではありません。今現在の自分も、ひょっとすると四角いキャベツにあたるものを信じていないか、ふと寒いものを感じたからです。

長い目で見れば、時代の常識は所詮移ろうものにすぎません。けれども、後から見ればどんなに奇妙なことでも、時代の渦中にいる者にとっては、空気のように当然のことに思えるのでしょう。40年前の人たちが「進歩」や「効率」という常識を信じたように、私たちも所詮、束の間の常識に目を奪われて、しかもそれに気がつかないでいるのかも知れません。

お釈迦様は、「仏法とは、自分が生まれる前から決まっていた真実だし、自分が死んでからも変わらないものだ」と説いておられます。仏法は、世を貫く経(たて)糸として、私たちが小さな頭で「当り前」だと信じていることがいかに頼りないものであるか、を厳しく突く教えなのです。

40年後の時代の人たちには、私たちがどんな「四角いキャベツ」を信じていたと映るのでしょうか。その姿を今少しでも映し出す鏡として、仏教を修めたいと思います。

2006/03/14