過去の法話

サウンドスケープ

滋賀県 宗清寺住職 上田了禅 老師

四六時中、私達は音の環境に住まいしています。音は耳から否応なく飛び込んできます。最近、自宅にいて私が耳を澄ませた時に聞こえた音は、洗濯機の廻る音・自動車の通り過ぎる音・バイクの通り過ぎる音。かなり静かになり、耳を澄ましていますと、道を歩く人の話し声・壁掛け時計の秒針の音・遠くで聞こえる道路工事の音などです。

これら聞こえる音のうち、機械音、文明の作り出した音を除くとどんな音が残るでしょうか。想像してください。百数十年も遡れば機械文明が作り出す音はありませんから、人を取り巻く音の環境は静寂そのものであったはずです。誰もが、音に敏感であったことでありましょう。

「音の環境」を「サウンドスケープ」「音風景」と呼ぶことがあります。平成8年に環境庁が将来に残しておきたい音、「残したい日本の音風景百選」を制定しました。各都道府県まんべんなく選定されています。多くて目立つのは鳥の鳴き声、鐘の音、水に関する音です。例えば、タンチョウ鶴、ウミネコの鳴き声、渓流や滝の音。祭りのざわめき等です。ほとんどが自然の音か、人のたてる音であります。いつまでも聞いていたい音、心が満たされる音、懐かしい音、心の癒しにつながる音であります。

耳を澄ますとなぜ心地よいのでしょうか。
「消えていく かねのひびびきに 聴き入れば、 いつか澄み来る わが心かな」

鳴り響いている鐘の音がだんだん小さく遠のいていく。その音にじっと聴きいっていますと、遠くの鐘の音と共に心が自分自身に戻ってくるという歌です。

禅の僧堂生活では音に神経を使うように教えられます。歩くスリッパの音。どうしても音がいたします。そこを出来る限り「音」に心を集中させて自らの作り出す音を小さくする工夫をすることが、自らの心を見つめる修行、禅の修行につながっているのであります。

耳を澄ませば、いろんな音が聞こえてきて、同じ自分自身の耳、同じ音の世界なのに、少し前とは違う世界が広がりを見せます。感じ方が違ってくるのです。このように「音」を心静かに、聴くだけで、安らぎや癒しを得ることが出来ます。皆さんも試してみてください。

2006/01/24