禅のお話
過去の法話
最良の朝
皆さんはどんな気持ちで、毎朝を迎えられていますか。
会社にお勤めであれば
「ああ、また朝が来た。また、会社にいかねばならない。いやだな。今日も一日しぶしぶ辛抱するか」
と、いやいや朝を迎える人もいます。逆に、
「ありがたい、今日も楽しく一日を過ごしたいものだ。仕事も楽しくはりきって」
と元気に喜んで朝を迎える人。様々な迎え方があります。
良い日、つまらない日と、決まってしまうのは、どこで決定されるのでしょうか。
冷静に考えると、私たちの気持ちの置き所で決まってくるようです。朝の迎え方で、幸せな一日になるのか、不幸せな一日なるのか、の分かれ道なのです。誰もが「今日も一日、幸せであるように」と願っていますので、朝から「仕事がいやだな」「つまらないな」と思ってはいけないのです。「いやだ、つまらない」と思うのは、昨日の失敗を今日に引きずっているからです。昨日の失敗は昨日の失敗であって、今日の失敗ではありません。
よくよく考えると、私たちは決して一人で暮らすことはできません。好むと好まざるにかかわらず、嫌でも誰かと、あるいは社会と、何者かと係わり合いを持っているのです。関わりあいをもっていますので、瞬間的に失敗や成功の断面を見ることになります。
「うまくやったと思ったり」「ああ失敗してしまった」と思ったりするのが人生であり、それが生きるということなのです。
他との関わりあいを持つということは、他のものに支えられ、そして他のものを支えているということです。
「人」という字を思い浮かべていただきたいのですが、二本の棒が寄り添って「人」と云う字が出来ています。
互いに支えることにより、支えられているのです。支えるのが嫌だと、手を離してしまいますと、二本の棒はお互いに倒れてしまいます。
その支えあいが、楽しいものであり、穏やかなものであれば幸せだなと思います。
私の親切は、相手がすぐに理解し感謝の言葉を云ってくれる。私が困っている時には相手がすぐに理解して、この私を助けてくれる。そのようであってもらいたいと願っていますが現実はいつもも逆です。本当に世の中支えあっているだろうか、自分一人が苦労しているのではないかと、疑問が湧いてきます。疑問を増幅し、すべての出会いに腹を立てて接しますと、本当につまらない一日になってしまいます。
「今日も一日、良い日であるように」と願って朝を迎えたのですから、自分自身の発想をかえて、自分の力で良い日を作り出さなければなりません。
「失敗は人生の年輪である」と考えるならば、「この失敗も大切なことなのだ。失敗は成功のもと」と考えを改め同じ失敗を繰り返さない覚悟が必要です。手痛い失敗を経験した人は、同じ失敗をした人の気持ちを理解してあげることが出来ます。
互いに支えあってる世の中、この私は、みんなに生かされ、みんなを生かしていると、理解すると、今朝新しい一日を迎えた「ありがたさ」が分かるのではないでしょうか。
二度と巡ってこない大切なこの一日を、元気で過ごすために、朝の目覚めの瞬間を大切にしましょう。