過去の法話

仏さまの願い

奈良県 瀧川寺住職 大谷良心 老師

52歳の時でありました。
朝のお勤めが終わり、ふとご本尊様のお地蔵さまを見上げ、つい唱えてしまいました。
「どうか練習をしなくても御詠歌が上手になりますように」
またやってしまいました。子どもの頃と変わりません。
「どうぞ勉強をしなくても良い成績でありますように」
「なんとか運動会では格好いい自分でありますように」
何度仏様にお願いしたことでしょう。
叶えてもらえませんので、神様、仏様、キリスト様、阿弥陀様なんでも総動員です。
子どもの頃の思い出がよみがえります。
ワーと叫んで「やめてやめて」と逃げ出したいあの恥ずかしさ。時には夢にまで出てくる情けない自分の思い出であります。
50歳を過ぎてもこれかと自己嫌悪に陥りかけました。

その時に見上げたお地蔵様が微笑んで、私を拝んで下さったのです。
「どうぞあなた様が一生懸命御詠歌を練習されますように」と。
この時の仏様の慈愛に包まれた私の感動を皆様にお伝えしたいのです。
自分勝手な無茶な願いも許された、仏様の大慈悲に出会えました。
ワガママを言っても許される幸せ。いつも見守っていて下さる慈悲のお姿であります。
人はそれぞれ違いますよね。
そして違う人と関係を持って生きていかなければなりませんよね。これが分かっていても、自分だけの願いや行いになりがちです。だからこそ同じ価値観を学ぶ為に信仰があるのです。
道元様は示されました。
「吾我を離るべし」と。
自分の執着心を離れなさいと。生きてる限り、この執着心を捨てることができても、また拾います。
この繰り返してでもあきらめてはなりません。教えに精進すること大切なのです。自分の願いと共に仏さまの願いに思いをはせてみましょう。
自分の願いと共に周りの人の願いに思いをはせてみましょう。
皆様が仏様の願いの大慈悲に包まれますようお祈りいたします。

2005/12/13