過去の法話

比べられない時間

京都府 隠龍寺住職 児玉哲司 老師

最近は長生きのペットが増えているそうですね。高齢の犬や猫向けに、消化のよいシニア用ペットフードも沢山売られているようです。

ただ、いくら長命とはいえ、犬や猫の寿命はせいぜい十数年ですから、どうしても人間の命と比べてしまって、短命ではかないもの、という印象を持ってしまいます。

ところが、動物学の先生によると、その考え方は正しくないそうです。というのもある見方にたつと、哺乳動物はみんな、ねずみのような小さなものから、象のような大きなものまで、みんな同じだけの寿命を生きているからです。

その見方というのは、「心臓時計」。いのちの長さを、心臓の鼓動、ドキンドキンの数でみようというものです。

普通の時計で測ると、ねずみの寿命は三年弱、象なら七十年ほどで、全然長さが違います。けれども、この心臓時計でみると、「一五億回」でみんな同じになってしまうのです。実は哺乳動物は全て、大きくても小さくても、一生の間に心臓が十五億回ほどドキンとして死ぬようにできているのだそうです。

心臓だけではありません。呼吸の数でみても、哺乳動物はみんな、生まれてから死ぬまでに大体三億回ぐらい吸って吐くようにできているそうです。不思議なものですね。

犬や猫の命は、人間の目からは一見短く見えます。しかし、ドキンやスーハーが早い分だけ濃密な時間を生きているので、一生を生ききった時の時間の感覚は変わらないのだそうです。

私たち人間は、こちらの時間の感覚で、勝手に「ペットは命が短い」などと思い込んで、時に感傷にひたるのですが、してみるとこれはちょっとおかしな話だといえるでしょう。犬や猫にしてみれば、まさに余計なお世話かも知れません。

生き物の命は、生きている本人にとってはみんな一緒。結局のところ、私たちの命は他のものの命と比べて長いだの短いだの言えるものではない、ということです。よそ見をしないで、私たちは私たちに与えられた生を生きるしかないのです。

道元禅師さまは、「生きていくことと時間は別物なのではない、生きることそのものが時間なのだ」、とおっしゃっています。私たちの人生の長い短いは、生きられて初めて意味ができるもので、その生きている本人以外がうんぬんできるようなものではない、とお示しになったのです。

あまりよそ見をして人生を比べてばかりいると、ひょっとすると私たちのほうがペットから、「つまらないことを考えて、自分の貴重な時間を無駄にしなさんな」と説教をされてしまうかも知れませんね。

2005/12/06