過去の法話

静かな心

滋賀県 青龍寺住職 桂川道雄 老師

お釈迦さまがインドの国・マガダという町で、説法をされていた時の話です。突然、数人の荒くれ男たちが大声でわめき散らし、お釈迦さまの説教の邪魔をしました。

「こいつは大うそつきだ」「こんな奴の言う事をまともに聞くと、ろくなことはない」さんざん、お釈迦さまの悪口を並べ立てました。お釈迦さまの説教の妨害活動をしたわけです。

荒くれ男たちは、お釈迦さまに反感を持つ人に、雇われた人々でした。お金で雇われていますので、お金をいただいた分だけ悪口雑言を言い続けます。

お釈迦さまは説教を中断して黙ってその悪口を聞いていました。お釈迦さまが相手をしませんでしたので、悪口のトーンがだんだん小さくなりました。しまいには、疲れが出たのか、お金をもらった分だけ言い終わったのか、荒くれ男たちはついに静かになりました。

その時、お釈迦さまは、男たちに静かに尋ねました。
「もし、おまえたちが人さまに贈り物をしようと思って、それを差し出したとしよう。相手がそれを受け取らなかったとしたら、その贈り物は、いったい誰のものであろうか」男たちは答えます。

「相手が受け取らなかったら、その贈ろうとした物はオレ物だ」
 お釈迦さまはその答えを聞いて
「そうなのだ、今、お前たちは私を散々ののしった。しかし、私はその悪口は受け取らなかった。だからその悪口はすべてお前たちのものだ」

穏やかなお釈迦さまの言葉に、荒くれた男たちは返す言葉もなく、やがて始まったお釈迦さまのお説教に耳を傾けはじめたと伝えられています。

私たちは自分の悪口を云われると、感情が高ぶって、激しく反発をします。頭に血がのぼってしまう状態です。普通であれば、冷静な判断ができるのですが、頭に血がのぼっていては、正常な判断はできません。一度の過激な判断で、大切な人生を棒に振ってしまった話は、たくさんあります。お釈迦さまのように、静かに自分の悪口を聞くには、大変な勇気が必要です。お釈迦さまのように冷静であるためには、どうすれば良いのでしょうか。

やはり、坐禅をして自分というものを点検しなければならないようです。悪口を云われても、お釈迦さまのように、心静かな状態であることは、至難の業です。坐禅をしても、坐禅をしてもお釈迦さまの境地にはなかなか、到達しません。私たちは、お釈迦さまを目指して歩み続けている道半ばの存在です。悪口を云われるとやはり頭に血がのぼります。その時です。
「ああ、私は今腹を立てている。この状態では冷静な判断ができない」
と自分で自分の状態に気付く事が大切です。坐禅に親しんでいるのと、そうでないのとの差が出てきます。

腹を立ててはいけないのではなく、腹も立つときもある。でも、早くいつもの自分を取り戻すことが大切なことなのです。

静かな心を手に入れるには、困難が伴いますが、日常生活が仏道修行だと割り切るなら、自分にあびせられた悪口も、自分を鍛えるためには大切な言葉であることを知らねばならないようです。

2005/11/29