過去の法話

辛抱

京都府 神応寺住職 安達瑞光 老師

「般若心経」では、波羅蜜多(はらみった)といって、彼岸に渡ることが、人生の目的だと教えています。凡夫の心の奥底には、いつも自分が大切と自己本位の想いが潜んでいます。自分の心を点検して、利己性を除くことが彼岸にわたる行です。彼岸にわたる仏の行いの一つに忍辱行(にんにくぎょう)というのがあります。辱め、侮りや苦悩があろうともこらえて心を動かさないという修行です。なんともすばらしい行ではありませんか。

最近の若者はキレやすいといわれますが、若い時の辛抱はきっと後日、役に立ちます。忍耐が自分の体にしみこんでいますから、少々のことは乗り越えていけます。人生何事においても耐えることがどんなに大事な価値あることでありましょうか。

思い返せばあの日、あの時、この上もない屈辱の中にあって、内心は激しい怒りと悲しみの渦がまきあがりこみあがる怒りをおさえ、涙が今にもあふれな悲しみに耐えて、じっと我慢の一時を過ごしました。後日不思議な喜びが沸いてきました。あの時耐えてよかった、我ながらよく凌ぐことができたのものだと、何かしら、自分がひとまわり大きくなって、我が人生に一段の深まりを感じたものでございます。

ひらきなおって、耐え忍ぶ中に生きている喜びさせ感じられるようになれば大したものです。ひたすらに、耐え難きを耐え、忍び難き忍ぶ、それ人生の全てです。

喜怒哀楽にふりまわされてどうにもならないこの現実の世界が、毎日の生活そのものが、広くて自由な清らかな世界、すなわち彼岸なのです。

2005/10/12