過去の法話

出会い

京都府 神応寺住職 安達瑞光 老師

「出会い」という言葉であなたは何を連想されますか、親友との出会い、恩師との出会い、夫婦の出会い等々。若い人達は、友達や出会い系サイトを連想するかもしれません。出会いという言葉からの連想は人によって、さまざまでしょう。

出会いこそ人生の始まり、生きていく上での新しい展開のきっかけとなることから、人生の悲喜こもごもは、出会いからだと、人は言う。

人にとっての最大の出会いのはじまりは、自分との出会い、すなわち我が命の誕生です。
この世に3千万種もの生き物が生息している中で、ヒトに生まれるということは、まさに受け難し人身を得たということです。そして、自分の誕生には、父母の出会いがあったからです。

茶道における茶人は客との間柄を大切にします。主人はお客様を迎えるにあたって、たとえ何度もお会いしているお方であっても無常の世だからいつお別れとなるかもしれません。誠心誠意お客さまにつくすということが、茶人のたしなみです。

そのために、お客さまが、路地に入るより出るまで、心をくばります。その心遣いが無言のうちにも通じます。今日、今席しかないという気持ちで相手に接していく生き方です。すばらしい心くばりです。自分に対する心くばりも、かくあらねばなりません。

毎日が新しい日、新しいはじめての日。毎日が新しい私、はじめての私です。一期といえば、人生の一生涯。一会といえばその時、その場、はじめての日のはじめての人との、一度きりの出会いですから、一期一会とは、一生に一度の出会いということです。どんな出会いでも喜びたいものです。

2005/04/19