禅のお話
過去の法話
仏性
禅の言葉の中に「本来の面目」というものがあります。世の中のありとあらゆる、ものすべてに「本分」または、「本心」「本性」があるというのです。人間の「本心」「本性」は「仏性」と教えられています。「仏心仏性」ともいわれます。つまり「人間」の「本性」はまさに「仏様」なのです。
これは、大正時代のお話です。北海道のオホーツク海に面した網走には、「泣く子も黙る」と言われた網走監獄がございます。そこへ、当時の本山貫首・北野元峰禅師が乞われてお話に行かれたそうです。
明治維新の生き残りの豪僧と呼ばれた禅師様ですが、おりから近くまでこられていたということもあって、快く受けられて90歳のお身体を杖をついてお運びになったとのことです。
さて、講堂の壇上に登られた元峰禅師は白く長い眉毛の下の煌々たる眼光をみはって一同を眺め回されました。広い講堂一杯の受刑囚が「この老僧何を語るのか」と見上げておりますとやがて、
「あんたがたはナァ、みんな佛様だヨ、ここは佛様の居るところじゃないョ・・・お前等の皆佛様だ、お前等、皆 佛様じゃあ」
と大声で目に涙を一杯浮かべて合掌の指を震わせておられたといわれます。
そのお姿に一同はシーンとして誰も口をきかず、あちこちで目を拭う者も出て来ました。長い間元峰禅師は、無言のまま立っておられましたが、やがて深々と頭を下げられて杖をとりなおして去って行かれたと言われております。
あんたがたは佛様なのだと「人間の本性」が「仏性」なりと拝まれ、極悪非道とさえ思われていた囚人達の一同も声をあげて泣いたと今もいい伝えられております。