禅のお話
過去の法話
精進
はげみをもって
放逸を退けし人は
こころに憂いなくして
やすらぎを得る
法句経に説かれたお釈迦様のお言葉です。「おこたり」の反対は「はげみ」であるように、放逸の心を捨てて只々はげみ精進にいそしむ人は、その事により智慧を頂き、心に安らぎを得て更に精進することでありましょう。とそういった意味の言葉であります。
禅寺の玄関等にはよく木版が掛けられております。樫の分厚い板で寒い朝などパーんと響く音は身の引き締まる思いがいたします。
その板に
「生死事大 無常迅速 各宜覚醒 慎勿放逸」
(生死事大 無常迅速 各宜しく覚醒し 慎んで放逸する事勿れ)
と示されております。
誠に無常迅速であります。その故に「頭燃をはらう」が如くに精進しなさいと教えられるのです。
よく世間では悠長な人のことを「お尻に火がついても呑気にしている」と言いますが、禅では「頭が燃える」と表現します。意味は同じです。それはあたかも無常の世にあることは、「少ない水に泳ぐ魚の如し」と言って、月日の経過の早きを切実に考えて精進しなさいと教えられるのです。
お釈迦様のお弟子にシュリハンドクというお弟子がおられました。他のお弟子に比べて物覚えも、物を理解することも遅れがちで一緒に修行することが出来ません。
お釈迦様は彼に一本のホウキを渡され、「塵を払わん、垢を落とさん」の一句を教えられました。彼は師の仰せに従って毎日毎日一途に掃除に専念しました。彼の真摯な励みはやがて智慧を得る結果となりました。
現代では「チエ」というと知識に恵まれることを示しますが、仏教で「般若」といいます。生まれながらに具わった仏性にもよをされる仏心の輝きを「智慧」と言います。シュリハンドクは放逸を退けて懸命に精進したので本来の智慧に輝いたのでしょう。「放逸と精進」、「おこたりとはげみ」について大切なことは「放逸」は自分一人でも出来ますが、「精進」は自分以外の多くのお蔭様の力に支えられてこそ成就できることに心なければなりません。