過去の法話

畏敬の念

京都府 導故寺住職 木下光章 老師

日本の多くの人は、お正月や節分には神社へお参りし、お彼岸やお盆には、お寺やお墓に参られることと思います。また、一軒の家に神棚と仏壇の両方があるご家庭も多いようです。そして、神棚や仏壇を拝むときは、これは神道でこれは仏教だとはあまり意識していません。

このように神や仏を分け隔てなく信仰する事を神仏習合といいます。この神仏習合には長い歴史があります。日本に仏教が伝来してきたのは、6世紀の頃です。そして日本の神道の中心的な存在である、推古天皇が仏教の布教を認められてからしばらくして、神宮寺という神社に付属したお寺が建立されています。この神仏習合の形態が次第に広まり、お寺には鎮守の神様が祀られ、奈良時代には昔からある神様にも仏様の性格を持たせるようになってきます。
そして神様は、仏や菩薩が衆生を導くために仮の姿で日本に現れたものだという「本地垂迹説」という考えにまでに至り益々神仏習合がひろまります。やがて、すべての神社の本地仏定められるほど盛んとなり、日本の神様に権現と言う仏教的な名前をつけて信仰するようになってきます。そして平安時代の末期には「蟻の熊野詣」といわれたように、一般庶民も続々と参詣の旅に出たそうです。この神仏習合が神棚と仏壇の同居という形で現代にも残っているのです。

鎌倉時代に創建された曹洞宗の本山永平寺でも、白山から湧き出る白山水を使っており、白山冥利大権現として境内の中にお祀りしています。今日でも毎年永平寺の雲水がそろって、手甲脚半の旅姿で「六根清浄」と白山に感謝の登山をしています。そして山頂で夜明けを待ち、ご来光を合掌で仰ぎ、すがすがしい気持ちで、白山の祠に般若心経を読経して下山しています。
このようにして、今日でも私たちは、神と仏を融合させて、自然な形でお参りしてしています。

人間が科学の力を得て、何もかも人間の思うままにコントロールしていこうとしている現代であります。しかし様々なものに畏敬の念をもち、お祀りする気持ちをいつまでも大切に残してゆきたいものです。

2004/10/20