過去の法話

食事訓に学ぶ1

京都府 苗秀寺住職 大谷俊定 老師

これから5回に分けて、食事訓についてお話をしましょう。
食事をいただく時には「頂きます」と言って、手を合わせます。
しかし、よく見てみますと、食堂やレストランで食事をいただく時や皆で食事に行った時などは「乾杯」と声をあげていただきますが、手を合わせていただくでしょうか。

最近のご法事などでは「献杯」の発声をすることが多くなりましたが、私はその後で「それでは皆さんご馳走をいただきましょう。いただきます。」と必ず申します。ほとんどの人が手を合わせて「いただきます」と声をだしていただきますが、中には、まったく無関心で黙って食べる人もいます。
「いただきます」という言葉は、「食べ物の命や作ってくださった方の苦労や愛情を私の命と豊かな思いやりの心にかえさせていただきます」という意味なのです。

私はある学校の先生と話したとき、
「人間として生きるために食べる権利がある。いただきますなどという言葉は支配思想である。子供に言わせることは子供の人権を無視したことになる」
この話を聞いた時、愕然としてしまいました。

「一つには功の多少を計り、彼の来処を量る」
この言葉は、農業や漁業といった食べ物の生産と調理の心という二面で捉えさせていただきましょう。
日本は貿易黒字の中、富めるお金で世界の国々から現地の人も口に出来ない食べ物を無造作に買いあさり、多くを廃棄し、飢えている多くの人々のことも考えないで、やれグルメだの、やれまずいなどと不平を並べていますが、多くの人々のおかげを忘れてはなりません。 
私はここで多くの人々や物に感謝をしなさいと言う道徳をお話するつもりはありません。

大切なことは あなた自身がどれだけ心豊かな充実した人生を送ることが出来るかということなのです。
お釈迦様の教えは貴方自身の生き方の命題なのです。

2004/02/24