過去の法話

秋は月

滋賀県 宗清寺住職 上田了禅 老師

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 

永平寺をお開きになりました道元禅師さまのお歌であります。
この中で仏さまそのものを象徴している言葉があります。何だとお思いになりますか?

「月」なのです。月を仏さまと置きかえますとよくわかる言葉があります。

「人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず」
道元禅師の『正法眼蔵』の言葉です。

人の心の水が澄んでいれば、月がその澄んだ鏡のような水面に映るというのです。
本当かどうかやってみましょうと、試してみました。といいましても心の水ではなく、盥(たらい)の水です。

盥にに水を張って月が映るかどうかということなのです。
アルミ製の盥とポリエチレンの盥と木製の盥と3つを用意して、満月の夜に水を満々と張って天空の月を映してみました。

やっぱり木製は良いですね。アルミの盥は少しの光でも底がぎらついて、水面より目につき過ぎるんです。ポリの盥は底の反射はありません。そのかわり、バケツでザーッと水をいれたあとの水面が、何時までもゆれているのです。

やってみて分かったことは、表面がつるつるした盥はいつまでも水が揺れていることです。水面が、ふらふら揺れていると月が映りにくいのですね。その点からいきますと、木の盥はすぐにぴーんと水が張って澄んできました。底の反射も気になりません。適当にざらっとしているから早く揺れがおさまるのでしょうか。

水面に映る月は情趣があります。どこからともなく、風が吹いてきて、肌に感じられない程度のやさしい風です。水面が揺れるにつれて月がふらりと揺れるのです。

どうして月は仏さまの象徴として見られてきたのでしょうか。
それはたとえば、昼間は暑いインドですから、涼しくなってから、お釈迦様の姿がよく見える月夜のもとでお説法がなされました。お釈迦様が説法される背景の頭上高く、いつも皓々と冴え渡る月が出ていれば、お釈迦様と月が結びついても不思議はないでありましょう。

春は花 夏ほととぎず 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり

月に象徴された仏のこころは、爽やかですっきり、こころに煩いが無い境地を表しています。今日は月に限ってお話を致しましたが、春夏秋冬の全てが、日々 好時節であることを示されているお歌でもあります。

道元禅師さまの思いを、このお歌のままに受け取って下されば有り難いと存じます。

2003/12/02