禅のお話
過去の法話
よい立ち姿は坐禅と同じ
みなさん、草履をお履きになりますか。
ある幼稚園では草履きをさせているところがあると聞きます。草履の場合は足の指先一本一本で地面をつかむ感覚が育つからです。
それでは、なぜこの地面をつかむ感覚が大事なのでしょうか。
それは「今の小学生の子供達が高齢者と同じ立ち姿である」と大阪大学教授の生田(香明)先生が発表されたことに関係しています。
生田先生は子供達の足に注目し、小学校で30年以上も調査を重ねてきました。
小学校の10歳の男子の50メートル走と走り幅跳びの能力が1980年代の後半から急に低下し始めているそうです。足腰の発達が充分でないために立ち姿にくっきりとあらわれてきていて、足の指に体重が乗っていなくて身体の重心が極端に後ろに、かかとに偏ってきているというのです。
簡単に云うとふんぞり返るような姿になっていて、この姿はちょうど高齢者と同じ立ち方であると発表されました。チョント指で突かれようものならば、すぐにひっくり返ってしまう状態と同じです。
禅では特に「身心一如(しんじんいちにょ)」といって身と心、つまり身体と精神は一つのものであるといいます。むしろ身と心は、一つのものの両面とみなしています。
「地に足が着いていない」や「浮き足だっている」などの言い回しは精神面だけを云っているのではありません。地面に対する現実の身体からくる感覚の言葉なのです。いくら頭脳が発達しているのが人間だとしても頭だけではどうにもなりません。やはり人間は心と体で一体のものであるといえます。
足を肩幅に開いて膝を軽く曲げ、両足に均等に体重をかけて腰と肚はしっかりとさせておき、背筋はすっと伸びて、肩の力は抜けた状態、ちょっと押されてもぐらつきにくい立ち方、これが良い立ち方です。しっかりと足が地についていて、大地との繋がりの感覚が腰と肚(はら)につながっているのであります。
このことからしますと坐禅の姿勢と良く似ている点のあることが分かります。
坐禅では、背筋を伸ばして、左右どちらにも傾かず、前かがみにならず、後ろに反るようなこともなく堂々として山のように、どっかりと坐るのがよいのです。
鉛筆を立てたような、少し押されるだけで倒れやすく、かかとに重心が偏っている立ち方をやめて、指先にも踏ん張りを利かせ、腰と肚に安定感のある立ち姿、禅のこころに通じる立ち方を心がけてみましょう。そうすれば、足が地に着くようになり、腰と肚が落ち着き、そして体中に活力が出てくる。もう一度このことをみなおしてみてはいかがでしょうか。