禅のお話
過去の法話
自分のことが大好き人間になりましょう
「あなたはご自分のことが好きですか。それともどちらかと言えば嫌いですか?」
と尋ねられるとどちらに手を上げますか。
ご自分のことが好きだという方に手を上げましたか。
それともどちらかと言えば嫌いだという方に手を上げましたか。
同じ質問を小学四年生にしてみました。
半数の子供たちが「大好きだ」と言って手を上げてくれましたが、残りの半数の子供は「嫌いだ」と言う方に手を上げました。
自分のことが嫌いだと言う子供にそのわけを尋ねてみますと、一人の男の子が手を上げて「僕、勉強ができないし」と言いますと、他の子供もこっくりと頷いていました。
安心できる家庭の中に「勉強」という大切なことが刃に変わって家族みんなの心を傷つけていませんか。
自分のことが好きだと言う男の子に聞いてみました。
「和尚さん 僕ね 自慢違うけど算数のテスト二十点以上取ったことないねん。けどな、絵が好きねん、人がしゃべったはること そのまま絵に描けるねん」と彼は、人の会話をメモ代わりに絵に表現することが出来るのです。この得意技に自信を持っているのです。
女の子が話してくれました。
「私ね、お料理が好きなん、それで私のこと好き」と言う彼女は、六年生の姉と四人家族。母親は病気がちで、毎日の食事は姉と二人で作っています。
ある時、サンマを焼いたそうです。姉がしっかり焼くように言ったものですから、妹はしっかり焼きましたが、焦げてしまいました。困った二人は深い洋食皿に焦げたサンマを寝させて入れて、大根おろしをたくさん摩り下ろしてその上からかけました。まるでサンマが大根おろしのお風呂に入っているようです。
「お父さん サンマ焼けたよ」サンマを食べた父親の顔を見ながら、
「ね、お父さん おいしい?」と尋ねると
「ちょっと苦いけどおいしい」
この話の中には「生き生きと今ここに生きる」と言う大切な心配りがありますね。
修証義の冒頭に
「生を明らめ死を明むるは仏家一大事の因縁なり」
と示されているのは、正に自分のことが大好き人間になることでしょう。
良い面もそうでない面も全部ひっくるめて、自分のことが大好き人間になりたいものです。道元禅師さまのお心を日々に生き生きと頂戴したいものです。