禅のお話
過去の法話
お電話さん
「お電話さん」
これは、私の恩師の言葉です。
お寺の落慶記念法要のあとで、恩師に記念のお説教をお願いしました。
お忙しい中、しかも遠路わざわざお越しいただくということで、家内と話し合って近くのお店でおいしい料理をつくっていただく事になりました。
ところが、いよいよ食事をという時に恩師が「お電話さん」と一言いわれたのです。
私はその時、その意味がわからなかったのです。
あとでよく考えてみると、ご馳走という字は「馬が駆け走る」という意味で、自らの手足を動かしておもてなしをすることがご馳走であり、電話で頼んで取り寄せたご馳走は、ご馳走ではなく、お電話さんだったのです。
お金をかけてとりよせなくとも、あなたたちの手作りの料理でいいのだという、思いやりの一言でしたが、私は今もこの一言を重く受け止めています。
道元禅師が中国に渡られ、天童寺でご修行されていた時のことです。
台所の責任者であり、年齢は68歳にもなる和尚さんが、炎天下で汗をふきふきシイタケを干していました。
道元禅師は、そのお姿を見かねて、「なぜ若い修行僧をお使いにならないのですか?」と尋ねました。
すると和尚さんは「他はこれ吾にあらず」と即座に答えられました。
つまり、他人がやったのでは私がしたことにならない、ということなのです。
サラリーマン川柳に、こんな作品がありました。
「やってみろ 言うなら お手本してみせろ」
いつの時代でも、大切なのは実践、身をもって行じる事です。
「お電話さん」は生涯忘れることの出来ない、恩師からの大切な大切なプレゼントです。