過去の法話

人生は百倍楽しく

京都府 神応寺住職 安達瑞光 老師

昔、中国に瑞巌師彦というお坊さんがいました。
自分自身に独り言で「主人公」と呼んでは「はいはい」と自問自答していたそうです。

この主人公とは、もともと生れながらに自分自身にに具わっている真実の姿のことをいいます。
仏心とか仏性、本来の面目とも言います。
自己や「自分が」の我にこだわっている間は、主人公があらわれてきません。自分自身に具わっている真実の姿が顕れでた自分こそが主人公です。

本来、人間にはわがまま勝手な自我というものなどないはずです。ないはずの自我が、おのれ自身の自我に固執したりこだわったりするところから、悩んだり苦しんだり、安心したり、喜んだり、悲しんだり、悲喜こもごもの生活をくりかえしています。
だから時に争ったり、殺し合ったり、傷つけあったり・・・。ものの道理が理解できていないから、自分本位に行動してしまいます。

そして、常に心身が満たされなくて、満足できないことばかりだといっては欲望と不平不満から、苦しみが次の苦しみを生み、またまた次々と苦しみの迷い道にはまりこんでしまい、出口も進むべき道すら見失ってしまい、自暴自棄に陥ってしまうのです。

電車に乗って足を踏まれたと踏み返すうちに争い、死に至らしめます。インターネット通信の仮想現実がいつしか犯罪に変わっていきます。希望に満ちた子供違の命をも奪い去ってしまいます。
人の一生は、とかくあてになりません。それで、いつも、満ち足りない思いに心は乱れ、迷い苦しんでいます。
迷い苦しむ自分自身こそが、真実の自分の姿だとさとれば、人生は百倍楽しくなるのです。

2003/02/25