過去の法話

愛語というは

奈良県 宝泉寺住職 北野哲由 老師

目を覆い、耳を疑わせる様な凶悪犯罪が、日々テレビに映り新聞に報じられている昨今、何が彼をしてこんな罪を犯さしめたか、誰が彼女をこの様な人生に至らしめたか、種々取り沙汰されております。 こう話をしている間もどこかでで忌まわしい事件がなされている事でしょう。

この間、電車の中で一枚のポスターが目にとまりました。
若者が老人の荷物を網棚に乗せている光景です。
「ああ近頃ほほえましい姿だなあ」と思いながらふと横に書いてある言葉を見ました。
「油断大敵御用心」と大きく、そしてやや小さく「親切を真にうけないで」と添えてあるのです。

若者がお年寄りを大事にする事などはごく当たり前の事でした。ところが「油断大敵御用心…」等と言うのが、実はこれが今の世相の一部なのですね。
かつての日本人の心は何処へ行ってしまったのでしょうか。

戦後教育の欠如が原因だとか、社会環境の悪化だとか種々問題にされています。
これは日本ばかりでは無いとのことです。世界中が「愛」の喪失時代だと言われます。
言葉が「心の花」であるならば、心に「愛」がなくては「愛語」が口に出て来ません。この「愛語」が四つの智慧の実践項目の第二番目に教えられています。

道元禅師様は「愛のある言葉は、愛のある心よりおこり、愛のある心とは、慈悲心である」とお示しです。

慈悲心とは母親の吾が子に対するそれの様に、「先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり」のお言葉通りです。

さりながら、どうやら近頃のお母さんは同じ母性愛でもそれが「溺愛」になったり「偏愛」であったりするそうです。それがやがて自分の事しか考えない「自分中心」的な人間に育ててしまう様です。

仏教が説いている愛とは「慈悲心の愛−慈愛−」 であります。 限りなく広く、限りなく大きい愛でありましょう。
道元禅師は「誠心の込もった慈悲の言葉」は聞く者をして感銘を与え、それは天下国家の施策にも大きなカを及ぼす事を親切にお示し下さっておられます。

2003/01/28