過去の法話

仏様のものさし

京都府 神応寺住職 安達瑞光 老師

中国は唐の時代に盤山さんというお坊さんがおられたそうです。
ある日、盤山さんが肉屋のそばを通りかかった時のことですが、客が「良い肉をくれ」と言ったから、肉屋の店主が「ここには悪い肉などおいていない」と答えました、このやりとりを聞いて盤山さんは悟ったと伝えられています。

狂牛病が問題になっています。
上等の肉牛を飼育するために与える飼料が原因だそうです。牛肉は食材でありますが、牛という生き物の命であります。
すなはち、人間が勝手に舌の味わいで等級をつけているだけですから、盤山さんは、「牛の命に上下なし」と悟ったのです。

そもそも人間は舌先三寸の味わいを頭でとらまえて、上等下等とランクをつけます。
けれども、喉を通って胃袋へ入ると、胃袋は上等下等のランク分けなどしないで消化してくれます。腸も同じく区別などしないで栄養を吸収してくれます。
人間の尺度(ものさし)、舌の味わいで勝手に等級をつけているだけで、牛という命に上下なしです。

人間の尺度(ものさし)では食べ物を命と見ないのでしょうか?
禅寺での食事は、仏である食べ物の命をいただき、仏である自分の命を生かせてもらいます。人間の尺度(ものさし)ではなく、天地自然の命の尺度(ものさし)で食べ物をいただくということが、自然の恩恵を忘れた現代人にとって、とても大切なことではないでしょうか。

天地自然はすべて仏の尺度(ものさし)にあっていますが、人間の尺度(ものさし)も同じでなければ、さまざまな歪みが生まれます。

人間の尺度(ものさし)を捨ててしまえば、ものごとがよく見えてくるのではないでしょうか。

2003/01/15