禅〜凛と生きる〜|曹洞宗近畿管区教化センター

禅のお話

今月の法話

眼で聴き 耳で視る

奈良県 宝泉寺 北野哲由 老師

先日京都の五条坂にて陶芸家の河合寛次郎翁の記念館で「眼で聴き耳で視る…眼聴耳視…」の句に逢いました。禅的な熟語と思い、試に禅学辞書を見るとなるほど道元禅師のお言葉まで添えて説明されてありました。
「眼で聴いて、耳で視る」とは少々変わった感じがしますが、本来禅語には普通の常識で考え難い言葉が多いものです。

例えば「聞香」といってお香を鼻の先で燻らせて名香をキクのです。そいうえば、お医者さんは聴診器で病気を視るのでしたね。ですから、六識の「眼耳鼻舌身意」または、「色聲香味触法」と般若心経にも教えられていますが、6つが6つそれぞれ独立しているのではなく、「眼」の中に他の5つも含まれていると同じく、それぞれが各々の機能を具えているといいうべきでしょうか。

さて私が子供のころ、平素より病気がちの師匠についてお檀家参りに行った時、折柄の雨で下駄が汚れていました。師匠がその下駄を拭いておくように言いつけたのですが、「どうせ今拭いてもまた汚れるのだ」と勝手な思いで拭かずに放っておきました。

いよいよお斎をよばれる時になりましたが、師匠は一向にお箸を持とうといたしません。「今、お昼を頂いても夕方にはまたお腹が減るから、もう食べずに帰ろう」と、お斎をよばれないのです。それと気づいたその檀家の主人が「小僧さん、早く下駄を拭いて来なはれ」と私を急ぎたてたのです。お仏壇に向かっていた師匠がなぜ下駄を拭かない私のことがわかっていたのか、これが「眼聴耳視」であったのですね。

家の外で遊んでいる我が子の声を耳にして、眼で視ているがように心の内に子どもを見据えていることはお母さんたちがご経験の通りです。
「もし耳をもって聴かば将に会し難し 眼処に聲を聞きてまさに知る事を得ん」道元禅師のお言葉です。

2013/08/01
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