禅のお話
今月の法話
お互いの垣根をこえる
私は過去に、いじめられたことがあります。私は空手の有段者でしたので手はだせませんでした。しかし、その人に対して憎悪の念を持ったことは間違いありません。
今でこそ、お寺で空手の道場を持ち先生と呼ばれていますが、当時の私は空手を学ぶ一道場生にすぎませんでした。しかし、いつか空手の先生になって空手を教えたいという夢もあり、ここで手を出したら、今まで築き上げてきた夢を失うことになると思いました。私は、彼に手を出すことを断念し、その場から逃げ出しました。
私は周りから、「なさけないなあ、何の為に空手やってたんや?」と言われました。私は、悔しさや悲しさで胸が張り裂けそうな思いで毎日を過ごしました。
それから2年後、福井県大野市宝慶寺の堂長さんの取り計らいで、その人と再会し二泊三日の修行を共にすることになりました。
過去の千仏、現在の千仏、未来の千仏の仏名が記された「三千仏経」の一仏ずつを唱えながら、五体投地を行います。3日目には肘も膝も、きしむように痛みました。本堂の畳に打ちつける額は、まるで三つ目の目ができたかのようになりました。
この修行をしたのは、私とその人だけではありませんでした。堂長さんはじめ、その時、宝慶寺にいらっしゃった全員が一緒につとめてくださったのです。
その修行を終えた後、その人は私に「とんでもないことをしました」と言い、私はその人に「私の性格が悪かったからです」と答えました。長い間のわだかまりが解けて、私は嬉しさのあまり、思わずその人を肩に担ぎ、その辺を走り回りました。
いじめや差別は、あってはならないことです。二度と繰り返さないように自らの心を深くみつめなければなりません。しかし、いじめや差別をした人を責め続けても何の解決にもなりません。共にかけがえのない命をもつ人間であることを認め合った時、お互いの垣根をこえることができるのです。