禅のお話
今月の法話
七徳覚一
ご法事の席で、「和尚さん、永代供養というものがありますね。どの位費用がかかりますか?」と定年を前にする男性に問われました。
私は、「貴方様にはご子息が無いのですかと尋ねます」と、「一人おります」とのことです。
「なぜ永代供養を考えておられるのですか」と、さらに尋ねますと「息子が後々大変ですし、かわいそうだ」というのです。私は立派な息子さんがおられるのに大変残念だなと思いました。
父母を供養し、ご先祖様に報恩の感謝をすることは人として当然のことであります。この文化は日本の文化であり、世界に誇れるものなのです。
父母の恩を思い供養していくことが、生きている者の喜びであり、家族の絆を深めていく大切な行事なのです。供養は死んでいくものが考えるものではなく、残された家族が行い考えることです。
ご子息がたとえ一人でも、そこには家族があり、ご親戚があるのです。その人たちと共に生き、絆を深める大切な行事なのです。
仏教の言葉に、「七徳覚一(しちとくかくいち)」という言葉があります。この言葉は、私たちはご供養をし、その功徳をご先祖様にご回向、すなわち廻し向けるのですが、七分の一しか仏様には届かないのです。七分の六は供養をする皆様たちに廻るということです。
長い間、ご法事供養をするということは、この「七徳覚一」の教えの所以です。
永代供養をするのは簡単です。お金さえ出せばできるのですが、それでは方丈様だけが徳を積んでいくことになるのです。
人は受けた恩を一生忘れない。多くの人たちによって支えられる人生の感謝を忘れない。その形が供養であり、ご法事なのです。
父母の恩を思うのは、動物の中の人間だけであるといいますがご家族があるのであれば、永代供養は考えないでください。大事なことは子供たちにご法事の意義と徳を伝えていくことです。