禅のお話
今月の法話
人の願いと仏の願い
奈良県 瀧川寺住職 大谷良心 老師
人は苦しみにであうと神仏に救いを求めます。
しかし、神仏は簡単には願いを叶えてはくれません。
そして、「神も仏もあるものか!」このようになってしまいます。
本当に仏様はいらっしゃらないのでしょうか?
私は、「仏様はある。絶対に存在する。」このように思っております。
ただ、「人の願いを叶えるために存在するのでは無い。」と思っているのです。
古来より、宗教イコール奇跡として、神仏に押しつけてきました。
違うのです。例えば人が『どうか良い成績を取らせてください』とお願いすれば、仏様は『どうぞ、この人が一生懸命勉強しますように』と拝まれているのです。
もう一度言います。仏様は人の願いを叶えるためにはいらっしゃるのではありません。
私たちが何を行い、何を言って、どう生きるかを願うためにいらっしゃるのです。
仏様は、私たちに願いをこめているのです。私たちは仏様に拝まれているのです。
求めるこころを半分にし、
怒れるこころを半分にし、
悲しむこころを半分にし、
喜びでさえ こころなしにおさえる。
丁度良い加減を知るとき、心の安定を知る時、樹々の声、石の声ご先祖様の声、森羅万象・・・いろいろな声が、自分の心の声が、仏様の願いが聞こえてきます。
慈悲が発き、慈愛が発き、菩提心が発きるとき、身近に仏様はおわしまします。
道元様はお示しです。
仏道を修行する者は、先ず須らく仏道を信ずべし
2004/04/28