禅のお話
今月の法話
食事訓に学ぶ3
食事訓の三番目は宗派によって読み方に少し違いがあります。
曹洞宗では
「心を防ぎ 過を離るることは 貧等を宗とす」
(しんをふせぎ とがをはなるることは とんとうをしゅうとす)
とよみます。
「心を防ぎ」の「心」とは我侭な心のことで、大切な食べ物をただ美味しさのみを追い求めて、そのものの価値や食事の尊さを見出せないことを言います。
「過を離るる」の「過」とは罪のことで、自己満足や我侭を充足させるために犯している罪のことです。美食のために生活習慣病として自らの健康を損なってしまうのも「過」ですし、我侭を通すために食べ物を無駄にしたり、粗末にしたりすることも「過」であります。偏食のためにまともな「こころ」がゆがめられていくのも「過」であります。
知人の子供さんはハムエッグがとても好きな男の子です。その子はいつも落ち着きがなく、体を絶えずくねくねと動かしています。
ある日、食事に出された食べ物に、グリーンピースが出ていました。お皿の外へ一粒また一粒出しています。
「嫌いなの」と訪ねますと「うん」と頷きます。
「一個だけでも食べてごらん、美味しいよ」といいますと一粒口に入れました。しばらく、もぐもぐしていましたが、やがて、今まで食べていた食べものを吐き出してしまいました。
あとでわかった事なのですが、この子は野菜を受け付けない体になっていたのです。小さな時から、お母さんの勤めの関係で、朝はハムエッグ、昼は給食、夜はハムエッグの繰り返しで、野菜を食べることがなかったのです。これも大きな「過」でありますね。
このように「我侭な心を起こさないこと」や「過」を犯さないなめにも清貧を宗としなさい、と示されているのです。
道元禅師さまは「学道すべからく貧なるべし」とお示しになっていますが、これは「清貧」の大切さを教えられているのです。
贅沢ではなく、また有り余るほどの量でもないが、そこは心を充足させるに充分な調理と頂く人の心の用意ができていることの大切さをお示しになっています。
皆さん、こころを養うはずの食事を我侭を育てる手段にしていませんか。