禅のお話
今月の法話
経営
私のところには、若い人がよくやって来ます。
最近特に感じることは、「フリーター」という言葉であります。
「僕、フリーターしています」と言うのです。
一定の職場を決めずに、自由に職場や職種を変えるということなのです。
いろいろな職場や仕事を経験することは良いことだと思います。
最近は、仕事が見えなくなってきたということもあって、対人関係やシステム、学生時代に認められても社会では許されないことなどを学ぶには、良いことだと思います。
仏教には「経営」という言葉があります。そうです。「会社を経営する」と言う時と同じ漢字を書きます。
「経営」という言葉は、仏教では「高い理念を持って、まっすぐに精進する」という意味です。
ある短期大学で「なぜ、人は生きているのか」とか「何のために生きるのか」という講義をしたところ、立ち席もでる大盛況だったと聞きました。
敗戦後の日本は哲学や道徳、倫理などという思想教育を徹底して教育界から排斥してまいりました。そのことをよい事だとも認めてまいりました。
思想という言葉が誤解を招くならば「人生の理念教育」とでもいいましょう。
しかし、そのことで心の中に空虚な思いをし、生きることへの目標も、人生の価値をも定められずに困っているのは、その中で育っている学生や若い人たちではないでしょうか?
なぜ、勉強するの?なぜ、仕事するの?なぜ結婚するの?なぜ、ルールをつくるの?
なぜ、なぜ、なぜ・・・。
大人は「今の若い人は何もわかっていない」といいますが、学校でも家庭でも「高い理念をもってっまっすぐに精進することの大切さ」を教えているでしょうか。
経済用語としての経営ではなく、仏さまの教えてとしての「経営のこころ」。これからの大切な人生をどのように生きていこうとするのか、という「人生の経営」を仏さまの教えに学びたいものです。