禅〜凛と生きる〜|曹洞宗近畿管区教化センター

曹洞宗について

瑩山禅師のご生涯

1.誕生から幼少時代

瑩山禅師は、1268年(文永5年)11月21日(陰暦では10月8日)に越前多称邑(たねむら)の豪族瓜生家にお生まれになりました。道元禅師がお亡くなりになってから15年後のことです。

禅師の母は深く仏教に帰依し、特に篤く観世音菩薩を信仰されていました。信心深い母親の姿のもとで育てられた瑩山禅師は、8歳の時に出家を願い出ましたが、父母の許しを得ることができず、断食をしてその決意のほどを示したといわれています。ついには父母も出家をみとめ永平寺へ上り、13歳のときに懐奘禅師について得度されました。

懐奘禅師亡き後は、義介禅師のもとで一所懸命に修行に励まれます。

2.求法行脚の旅

18歳の正月に、はじめて行脚の途に入り、越前大野の宝慶寺(ほうきょうじ)の寂円禅師、京都・万寿寺の宝覚禅師、東福寺の東山湛照や白雲慧暁禅師などさまざまな諸師に参じ、また比叡山に上っては一切経を学ぶなどされました。

紀州(和歌山)由良の興国寺の心地覚心禅師に相見して問法されたのち、21歳の秋、越前にもどられ、再び宝慶寺をたずね、永平寺に帰られます。

3.印可証明 平常心是道

1289年の春、義介禅師に従い加賀(石川県)の大乗寺に移り、1294年上堂にて「平常心是道」の逸話を聞いて大悟され、義介禅師より印可を受けられたのでした。

翌年の正月14日、義介禅師から、道元禅師が自ら縫われた袈裟を伝授されました。

4.教化救済

1295年(永仁3年)、阿波(徳島県)に迎えられ、城満寺の開山となり、また、遠く肥後(熊本県)の大慈寺に寒巌義尹禅師をたずねられています。

1299年(正安元年)に、加賀にもどり義介禅師をささえ、翌年からは『伝光録(でんこうろく)』の提唱を始められました。

1302年(乾元元年)、禅師35歳の時に大乗寺の住職となり、よりいっそう人々への布教に力をそそがれます。そんな禅師のもとには、のちの曹洞宗の発展に大きく貢献する、明峰素哲、峨山紹碩といった弟子達がいました。

5.總持寺をひらく

1311年(応長元年)、加賀の浄住寺を開き、翌年には能登(石川県)に洞谷山永光寺(ようこうじ)を草創。

そして、1321年(元亨元年)、禅師54歳のときに、定賢律師の請いにより能登郡櫛比庄の諸嶽寺をゆずりうけ、寺名を諸嶽山總持寺(そうじじ)とあらためられました。

※この總持寺は明治になって現在の神奈川県に移転しました。
總持寺はその後、曹洞宗教団の発展の中心地として、その門風をひろめました。

6.入寂

1324年(正中元年)8月、總持寺を峨山紹碩禅師に譲り、永光寺に退隠。翌年より健康状態がすぐれず、永光寺を明峰素哲禅師に任せた後、9月29日(8月15日)に入寂されました。禅師58歳のことでした。

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