観応二年(1351)天龍寺開山夢窓国師が北条に庵を結ぶ。その後廃絶していたが、享保六年(1721)、天桂伝尊禅師により再興。天桂禅師はこの地で江戸初期の『正法眼蔵』の註釈書である『正法眼蔵弁註』を執筆し、独自で宗風を打ち立てた。
厳格な修行道場として
大阪府池田市の郊外。古くから植木の産地として知られるこの地には、立派な庭をもつ旧家が立ち並んでいます。その一角に「陽松庵」と記された大きな石柱。山の木々に囲まれた坂道を登ると、パッとひらけるようにお寺の門が目に入ります。
陽松庵は江戸期の禅僧、天桂伝尊禅師が開いたお寺で、晩年はこの地で弟子の育成や『正法眼蔵』の参究をされたそうです。峻烈な熱血漢だと伝わり、開山堂に祀られる等身大の木像からも、その気迫を感じることができます。
ひとり一人が修行する
陽松庵の坐禅会は、袈裟(輪袈裟)を身につけることから始まります。しばらくすると坐禅堂へ住職の福本高芳老師が入ってこられます。数年前に米寿を迎えられたそうですが、今なお坐禅の指導をされています。老師が坐位につかれると一気に堂内がひきしまります。鐘が鳴らされ、坐禅がはじまりました。
開け放たれた障子から木々の生気を含んだ空気が入ってきます。瓦敷きの土間がやわらかく陽を反射させ、心地よい光が満ちています。人工的な音はせず、葉の揺れる音や鳥のさえずりが耳に入るだけ。「ここの坐禅堂が一番いい」と参禅の方が話されていましたが、まさに心静まる「非日常」の空間です。
坐禅が終わると、本堂で般若心経を読経します。ひとり一人が背筋を伸ばし、お参りする姿は修行者そのもの。
続いて作務の時間。作務とはお寺で行う労働や作業を意味します。日常のすべてが修行だとするのが禅の教えです。それぞれが箒や雑巾を手にし、黙々と掃除をします。
老師のぬくもりにふれる坐禅
陽松庵の坐禅会は、会員制ではなく、誰もが自由に参加できます。「しばらく休んでいても気軽に参加できる」と参禅者の声。しかし、初参加者ばかりかというとそうでもなく、数十年もの長きにわたり参禅する人もいるなど、その顔ぶれは様々。「毎週の坐禅会。ワシやったらよう来んわ」と冗談を言われる福本老師。参加者の熱意への敬意とともに、温かい眼差しを向けられます。参加者は皆、福本老師との対話も楽しく、また貴重であると感じておられるようです。
「この寺は檀家が無い。坐禅せんようになったら何もなくなる」。年齢を感じさせない力強いその声に、一同うなずかれました。