過去の法話

だるまさん〜達磨忌にちなんで〜

近畿管区教化センター 主監
京都府 宗堅寺住職 鈴木顕道 老師

「だるまさんがころんだ〜!」
お寺の庭から、子どもたちが元気に遊ぶ声が聞こえてきます。
「だるまさん」と親しみを込めて呼ばれておりますが、正式には「菩提達磨大和尚(ぼだいだるまだいおしょう)」達磨大師です。6世紀頃の人で、インドの香至国の第3王子として生まれましたが、出家して般若多羅尊者の弟子となり、今では禅宗の祖とされる、お釈迦さまから数えて28代目の祖師さまです。晩年、3年の歳月をかけて中国に渡り、崇山少林寺で9年間坐禅修行をし、150歳で亡くなられたとされています。

10月5日は達磨忌。全国の禅寺で法要が営まれます。

禅の公案の中に、達磨大師が中国に到着された時、梁の国の武帝と交わした会話というのが伝えられています。
西暦520年9月21日、達磨大師が広州府に着いたことを伝え聞いた梁の武帝は、
「私はこれまで寺を建て、写経し、僧尼に供養してきたが、どのくらいの功徳になっているだろうか」と尋ねました。
達磨大師は味もそっけもなく
「無功徳(功徳は何もない)」と答えて、立ち去ってしまいました。

武帝がたくさんの寺院を建立したこと、たくさんの人に供養してきたこと、それはすばらしいことなのですが、とても一人の力でできることではありません。多くの資金や人を動かせる力、そのほかたくさんの縁の力があること…実はそれらは前もって武帝に備わっていた徳に他なりません。自分に与えられたものに比べて、自分の力で得たものはほんのわずかです。にもかかわらず、すべて自分の力だと勘違いしてご利益目当てに仏法を求めるようなことでは、真の功徳は得られません

俺がこれだけのことをしたのだから…。私はこんなにしてあげているのに…。 よく口にしたり思ったりしていませんか?武帝と同じように、なにか見返りを求めていませんか?そんなあなたにも、きっと達磨大師は「無功徳」とおっしゃるでしょう。

また達磨大師が説かれた中に「二入四行」という教えの中の一つを"随縁行"といいます。
私たちが生きていく間には、順境あり逆境ありで、いつでも自分の思った通りにものごとが運ぶわけではありません。
これは、その人その人の縁のめぐりあわせによるもので自分の力では動かしがたいものです。そこで、めぐりあう縁をあるがままに受取り、さらに将来良い縁の方向性が得られるように、今努力することが大切です。そうするとあなたの行いは、次第に道にかない、あなたの心も周りも明るく開けますよ、という教えです。

私たちは、長い長い時間と広い広い空間の中にある無数の縁の支えの中に存在しています。言い換えると、この世のあらゆるものによって生かされていると同時に、この世のあらゆるものに影響を与えながら生きているのです。そして今の瞬間が、未来におけるあらゆる縁の原点でもあります。
この今を縁にして、次の瞬間の今が未来として出現する。そして次の瞬間を縁として、また次の今が生じる…つまり次の瞬間のあなたの行動によって、あなたの未来はもちろん、地球どころか宇宙の未来も決せられるということなのです。
縁を未来に向かって如何に結ぶかということは、今を如何に生きるかということでもあるのです。
このすばらしい達磨大師の教えを、坐禅を通して是非味わってください。
(『禅の友』平成19年10月号掲載)

2007/10/03