過去の法話

二つの時計

滋賀県 宗清寺住職 上田了禅 老師

あるお宅でお参りを済ませ電車で帰ろうとして腕時計をしていないのに気づいた私は、そのお宅の壁掛け時計の時刻を見ました。
  時計の針は8時25分を指していました。
「駅まで10分かかりますから8時半の電車には間に合わないですね」
と云いつつ、立ち上がりかけたのをやめて、座布団に座り直しました。
すると
「いえ、その時計は少し早い目にあわせてありますので、こちらの時計を見て下さい」
と云われ指さされた方を見ますと、タンスの上の目覚まし時計は8時20分少し前を指していました。
「こちらの時計は少し遅れていますが」
と仰いましたが、とにかく駅に向けて出ることにしたのです。
心持ち急ぎ足で歩きました。
歩いている途中で
「今の正確な時間は一体何時何分なのだろうか。壁掛け時計とタンスの上の目覚まし時計との中間だろうか。それにしても2つ時計を置きながらどちらも正確な時刻をさしていないとは、はてどういうことか。いや腕時計をつけていなかったのだから仕方がない」
などと思いながら駅に着き、切符を買って自動改札を通り抜けると、ちょうど電車がホームに滑り込んでくるところで、無事電車に乗ることができました。

どこのお宅でも沢山の時計をお持ちでしょう。それがたまたま同じ部屋に2つあり、時計の針がそれぞれ違う時刻を指していたので、どちらが正確なのだろうと迷ったのです。日常でも、あれかこれかと少しのことで迷う事があります。

釈尊の説法も、その人に応じて法を説く「対機説法」を取りましたから、内容が正反対のこともあります。これが絶対に正しいとは云えません。
例えば怠け者には、もっとまじめに修行するようにと教えられ、あまりに張りつめている修行者には、もっと緩やかに適度に修行するように教えられます。その結果、仏教には八万四千の法門があるといわれるくらいです。

教えに2つあってどちらが正しいのか判定に労力を費やすより、自分にふさわしい教えを選び、歩んで行けば良いのではないでしょうか。
受容の大きいのも仏教の特徴だったなと、思わせる2つの時計でした。

2006/07/06