過去の法話

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京都府 萬歳寺住職 服部俊憲 老師

永平寺を開かれた道元禅師さまは、中国に修行に行かれ、悟りをひらき中国から帰られるとき
「わたしは空手(クウシュ)にして還郷(ゲンキョウ)す」(空手還郷)
といわれ、目録というものは持たないで帰られました。
すなわち、手みやげは何一つありません。

その後、京都宇治に興聖寺を建てられ、坐禅を中心とする初開道場を開かれました。

仏法はとにかく坐禅です。

坐禅といいますと、足がしびれ、窮屈な思いがすると多くの人々が好まないものです。
実は私も修行時代一番嫌いな修行でした。朝の坐禅は眠く、夜の坐禅は足がしびれる、そんな思いの修行でした。

しかし、近年、坐禅は一生の友としたいと思っています。なぜならば坐禅ほど心が落ち着き、本来の自分の姿に戻してくれるのです。

例えば、どんな家に住んでも、美味しいものをお腹一杯食べても、心は落ち着かないのです。

社会中で生活をしていく以上、悩み、迷い、苦しみが伴う私たちの社会。このことは、誰のせいでもありません。

人間なるがゆえにおきるのです。

子供でもお年寄りでも、男でも女でも。
「坐禅は安楽の法門なり」とお釈迦さまはお説きになりました。

心を穏やかに保つ、心を落ち着かせることによって正しい智恵が生じるのです。

どこでもいいのです。いつでもいいのです。夜、寝つかれないとき、日曜の昼下がり、5分でも、10分でも、坐ってみませんか?イスの上でもいいのです。正座の姿勢でもいいのです。

今、私たちが忘れている、自分を見つめて生きるために。坐禅の効力はお釈迦さま、道元さまを見れば一目です。

2003/11/11