過去の法話

パンタカの悟り

京都府 導故寺住職 木下光章 老師

むかし、たくさんいたお釈迦さまのお弟子さんの中に、パンタカという二人の兄弟がいました。
兄のパンタカは、とても物覚えが良く、教えをどんどん記憶して、ソラで言えるようになりました。
ところが弟の方は、物覚えが非常に悪く、人の教えを憶えると、前に憶えた教えを忘れていくというありさまでした。
そこで兄は「お前はもう家に帰りなさい。」と言います。
弟は自分でも自分が情けなくなり、ついに決心して出て行こうとしました。

その時、ばったりとお釈迦さまに出会い、わけを話すと、お釈迦さまは、やさしく「パンタカよ。出ていくことはない、お前はちっとも愚か者ではない。世間では、自らを賢者であると自負している者が多い。しかし、愚か者であるのにそれに気づかず、自らを賢者であると思いこんでいる。その者こそが愚か者である。愚か者であるが故に、智慧(ちえ)を求め、智慧に照らされながら生きる者である。お前は自分が愚か者であるということに気づいている。だから、お前は愚か者ではないのだ。」
そしてお釈迦さま、次のような行を与えられました。
「パンタカよ、ここにー本の箒(ほうき)がある。お前はこれからこの箒を使って、朝から晩までお寺の掃除をしなさい。ほかのことは気にかけなくてよい、ただ、一生懸命掃除をしなさい。」
そして最後に「パンタカよ、『塵(ちり)を払え、垢(あか)を除け。』と、口の中で唱えながら掃除をしなさい。」と一本の箒をわたされました。

それから、毎目毎日、弟のパンタカは、掃除をしていたのでしたが、ある日、チリも心も同じなんだということに気が付きました。
「人間の心は、毎目毎日、愚痴、不平不満、怒り、悲しみなどの感情によって、汚れてきます。それを清めずに放っておくとなかなか汚れが取れなくなってくるものだ。その煩悩のチリを毎日毎日払うことが大事なのだ!!」と悟りました。
そして、お釈迦様に「私は、この箒(ほうき)と、『塵(ちり)を払え、垢(あか)を除け』の言葉をいただき、掃除をしてきました。そして、掃除をしながら様々なことが心に沸き起り、智慧は生まれました。
私にとってこの修行がすべてです。心のチリは今も降りつづけて積もりはじめています。
私はこれからもこの箒に支えられ、心のチリを払い一生歩んでいこうと思います。」 とまた、掃除を続けるのでした。

あなたの心にちりはたまっていませんか?

2003/02/12