過去の法話

禅語に親しむ

京都府 萬歳寺住職 服部俊憲 老師

数ある禅語の中で人々に最もよく知られて一行物としてよく好まれていいますのは、『日々是好日』でしょう。

このことばは、その昔、中国に雲門宗という禅宗がありました。その雲門宗の宗祖文偃が弟子たちに向かって、自らの生き方を告白されたものであります。

ある日、一人の檀家さんがお寺にひょっこり来られました。
「和尚さん、新築の家が完成しましたのでお仏壇の開眼をおねがいいたします。それから、床の間に何も掛けるものがないので、一筆書いてほしい。できましたら『日々是好日』と書いてほしい」ということです。

理由を尋ねますと、「以前この文字を見たときから好きで、このたび家が完成し息子夫婦と一緒に暮らすことになりました。皆で仲良く暮らせるように、家に災難が起きないように、悲しい事件が起きないよう床の間にぜひ掛けたい」とのことです。

ああ、この方は、『日々是好日』この言葉を厄除けと間違いされておられる。一筆書いてから何か起こっては大変と思い、説明させていただきました。

「実はね、この言葉の意味は、私たちが毎日迎えるこの一日、次ぎ来る一日、また来る一日。この毎日毎日来る日々が人生最良の日だということです。しかし、この毎日毎日くる日々がいつも好い日ではありません。 楽しいことは一握り。苦しい日、寂しい日、悲しい日、辛い日々、私たちの人生はいろいろな日々がやってきます。 人生は楽しく、好い日々でありたいと願うものですが、この『日々是好日』と示した文偃は、人生は単に楽しむものではなく味わうものであると云っています」

この説明を聞いた檀家さんは、「厄除けより大事ですね、是非一枚書いてください、一緒に暮らす息子夫婦にいい話ができます。家族仲良く暮らせることと思います」

皆さんも禅語を味わってみませんか?

2002/11/15